2014年05月29日

子どもの才能を見抜くヒント

我が子には、どんな才能があるのだろう?
才能を伸ばして、素敵な人生を歩ませてあげたい。
そんな風に考える親御さんも多いのではないでしょうか。

ここでは、子供の才能を見抜くためのヒントを書いていきたいと思います。

才能とは?
よく、何かの分野で結果を出した子は、「あの子は才能がある」と言われます。
絵画の作品が優秀賞だった、ピアノのコンクールで優勝した、などです。
そもそも、才能とは一体何でしょうか?

才能の本質は、普段無意識に使っている考え方や行動のパターンです。
それは例えば、次のようなものです。
何かを表現する才能、何かを集める才能、
どんな人とも社交的に付き合える才能、人の強みを見抜く才能、
最高のものを創ろうとする才能。

挙げだしたらきりが無いほど、いろいろな才能があるのです。

ありがたいことに、どんな子供にも才能があります。

結果を出したから才能がある、何も結果を出していないから才能が無い、
ということは無いのです。

そして、探すのが難しいということもありません。

なぜなら、才能は普段当たり前のように使っているものだからです。


子供の才能を見抜く4つのヒント

1.気づくと子供がやっていること

うちの子は時間さえあれば○○をしている、
ふと見るといつも○○をしている、といったことはありませんか?

その活動の中に才能のヒントがあります。

あなたのお子さんは普段、どんな活動をしていますか?
そして、その活動に共通する行動パターンや考え方のパターンには、
どんなものがありますか?


2.子供が憧れている対象

子供たちには、ヒーローがたくさんいます。
どんなヒーローがいるのか、聞いてみましょう。
それは、プロのスポーツ選手かもしれませんし、歌手かもしれません。
あるいは、近所のおじさん、おばさんだったりするかもしれません。

かっこいい人、面白い人、美しい人など、様々でしょう。

憧れるということは、その子にもその才能があるということを意味します。

ただ、憧れの対象が歌手だからと言って、歌の才能があるとは限りません。
美しい声に憧れる子もいれば、多くの人たちに勇気を与えることに憧れる子もいます。

あなたのお子さんが憧れているのは誰ですか?
また、その人のどんなところに憧れているのでしょう?


3.周りのお母さん友達、ご近所さん、親戚から褒められたこと

「お宅の○○ちゃんは、◆◆なところがすごいよね」
などと言われたことはありませんか?

人から褒められることの中には、才能のヒントが隠れています。

子供の姿は家では当たり前に見られます。
そのため、親御さんは子供の持つ才能になかなか気づかない場合があります。

一方、家の外の人たちの目には、子供の才能がとても新鮮に映ります。
ですから、褒めてくれたことに対して、
「そう?こんなの普通じゃない?」と思ったら要注意です。

せっかく子供の才能を教えてくれているのに、
それを見過ごしてしまう可能性があるからです。

ぜひ、お子さんがどんなことで褒められるのか、
注意して聞いてみてください。

きっと、才能のヒントが見つかるでしょう。


4.何も教えていないのに一人でできたこと

お父さん、お母さんが子供に教えていないのに、
子供が一人でできてびっくりした、という体験はありませんか?

電車の絵を本物とそっくりに描いた、
テーブルの上にあった小銭の山を見て、いくらあるかを瞬時に計算した、
といったものです。

教わらなくてもできるのは、その子が自分の才能を活かしているからです。
子供からすると、いつも無意識のうちに使っている行動パターン、
考え方のパターンを表現したにすぎません。

ですから、子供に驚かされたという体験があれば、喜んでください。

まさに、それが子供の才能の表れだからです。


才能を見極める上で気をつけるポイント

1.常識の枠の中で考えない

才能には、こういう形のものでなければならない、
ということは一切ありません。

仮にそう考えたとしても、本来無意識のうちに使っているパターンが才能なので、
無理やり形を限定することは不可能でしょう。

固定観念にとらわれず、自由に才能を見つけていって欲しいと思います。

2.親の期待を押し付けない

時々、親御さんが夢に挫折したことがあったり、
人生が上手くいっていないと感じていることがあります。

感情的な痛みを癒せないままでいると、
子供に自分の期待を押し付けてしまうことがあるでしょう。

それが悪いとは思いませんが、
本来子供が持っている才能の芽をつぶしてしまうかもしれません。

親御さんの持つ才能と、子供の持つ才能は必ずしも同じものとは限らないからです。
もし、そんなことはしたくないなと感じたら、
もう一度、自分の感情と向き合ってみる必要があります。

本当はどうなりたかったのか、どれだけ悲しかったのか、
惨めだったのか、不安だったのか。

辛さと希望の両方を感じつくすことができれば、きっと大丈夫でしょう。

3.子供をよく観察する 子供の才能を見極めるためには、よく観察すること。

この一言に尽きると思います。 才能を探すのは難しいことではありません。
少し見方を変えるだけで、いろいろなヒントが見つかるでしょう。

ぜひ、楽しみながら子供の可能性を広げていってください。
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大久保嘉人 少年時代

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■キツイ練習でも楽しかった思い出しか残っていない ――

大久保選手がサッカーを始めたのは?

「小学1年生のある日、親と買い物に行った時のことでした。
車で通った道のそばの広場でサッカーをやっている光景を目にしたのですが、
当時はまだサッカーのことを知らず、
父親に『あれは何をやっているの?』と聞いたところ、
『サッカー』だと教えられて。それで一度やってみたいと言ったんです。
ただ、実際に練習に行ってみたところ、まったくボールを蹴ることができず、
1日でやめてしまって(笑)。
小学2年の頃は一輪車にハマり、毎日、一輪車に乗っていました。
そして、小学3年生になって再びサッカー少年団に入ることになったのですが、
最初は特に入るつもりはありませんでした。
ただ、周りの友だちがみんなサッカー少年団に入るということで、
その流れにのって……というような感じで、
僕もサッカーをまた始めることになったんです」


――その頃は、サッカーが楽しいと感じられましたか?

「1年生で初めて練習に参加した時よりも、ボールがよく飛んでいきましたね。
それが本当に嬉しかったことを覚えています。
そして、それ以降は、どんどんサッカーにのめり込み、練習にも休まずに行くようになりました」


――当時はどんな練習をしていましたか?
「自宅にいる時は、家の壁に向かってずっとボールを蹴り続けたり、
鉄の大きな柵になっているごみ箱の穴にボールをコントロールしていれたりして練習していましたね。
少年団の練習はきつかったですよ。
走りやミニゲーム、シュート練習などが主なメニューでした。
すごくきつい練習ではあったけれど、楽しかったです。
また、周りの誰にも負けたくないという気持ちは、
その頃から、少しずつ強くなっていったように思います。
それ以前は、『別に負けてもいいや』と勝負に対するこだわりはあまりなかったタイプだったのに、
負けたくないという気持ちがどんどん強くなっていきました。
当時はFWとしてプレーしていたのですが、
とにかく『点を取りたい』という気持ちがすごく大きかったですね。


■まさか自分がプロサッカー選手になるとは思っていなかった ――

FWのポジションは指導者に決められたんですか?
「いや、定かなところではないのですが(笑)、
実は一番最初はGKでプレーしていたんですよ。
『やりたいところをやれ』と言われて、GKを選択したんです。
でも、実際にやってみたところ、ボールがまったく来ず、面白くなかったので、
前めのポジションに移動しました。
小学5年生の頃はすでにFWでしたが、強いチームと試合をする時には、
相手チームにうまい選手がいるので、いつも自分がマンツーマンでマークにつくなど、
試合によってはたまにディフェンスをやることもありました。
今振り返ると、自分でもよくやったなと思いますよ(笑)」


――その頃、すでにプロ選手になるという夢を持っていましたか?

「当時はまだ考えていなかったように思います。
僕の地元は田舎でしたし、まさか自分がなれるとも考えていませんでした。
もちろん、小学5年生の時にJリーグが開幕していたので、
プロリーグの存在は知っていましたし、よく試合も見ていましたけれど。
試合の翌日は、ラモスさんのループを真似していましたね。
ただ、テレビなどで試合を見ても、
自分が将来そこに立つというイメージはまったく持っていなかった。
そう考え始めるようになったのは、高校になってからだったと思います」


――プロ選手のプレーをビデオで見たりすることは?

「親が8選手ぐらいのゴールシーンを集めたビデオを買ってくれましたが、
ボビー・チャールトンなど、昔の選手ばかりで、実はあまり覚えていないんですよ。
なかなか渋い人選でしたね(笑)」


 ■父よりも母が厳しかった小学生時代


――ご両親はスポーツをされていたんですか?

「サッカーではありませんが、父も母もバレーボールをしていました。
母は実業団でもプレーしていたようです。
親によく言われていたのは、『負けるな』ということですね。
試合で負けたり、点が取れなかったりすると、ご飯を食べさせてくれないということもありましたよ。
うちは父よりも母の方が厳しかった」


――大久保選手がサッカーを続けることに関してはどのようにサポートしてくれましたか?

「僕は小学校卒業後、地元を離れ、長崎の国見中学校に進学したのですが、それも親の薦めだったんです。
僕は最後まで『行きたくない』と抵抗していたのですが、
最終的には『プロになれるかもしれないんだから、それにかけろ!』という言葉に納得し、決断しました。
実際に、国見中学校は全国でも結果を残すような強いチームだったんですよ。
ただ、親からはそのような言葉をかけられてはいましたが、
実際はまだプロなんて具体的なものではなかったですし、
とにかく中学でも試合に出たいという気持ちだけでした。
プロなんて、まだまだ、あまりにも先のことでしたから」


――周りの選手のレベルも高かったのですか?

「同じ学年の選手だけでも、長崎以外の遠方から8,9人ほどきていたんですが、
みんな高いテクニックを持っていて、うまいヤツばかりでした。
僕も小学校時代にナショナルトレセンに入っていましたし、
地域選抜としてプレーした経験もあったので自信は持っていたつもりですが、
チームメイトのプレーを見た瞬間は、『これは(自分は)駄目だな』とショックを受けました。
ただ、それでも、もうやるしかなかった。
練習はきつかったけれど、楽しくて、辞めたいと思ったことは一度もありませんでしたね」

■最初はホームシックにもかかった中学生時代

――親元を離れて、自分でやるべきことも多くなったと思います。
「最初の1、2カ月は、洗濯や掃除など、いろいろと自分でやらなければならなかったので、
面倒でしたが、それも時間が過ぎると、徐々に慣れていきました。
ホームシックも最初だけ。ただ、(ホームシックにかかっていた)その頃は、
『帰りたい』と言っていましたし、実家によく電話をかけていました。
特別何かを話すというわけではないのですが、寂しいから電話をかけて、声を聞いてホッとするという感じで」


――大久保家の教育方針があれば教えてください。

「挨拶、礼儀、ご飯の食べ方などに関しては厳しかったですよ。
しかも、小学生の頃は僕は悪ガキだったので、とくに(笑)。
窓ガラスを割ったり、何かをして怒られた時に、自宅にある金魚鉢を割り、
母親に暴言を吐いて逃げたこともありました。
本当にやんちゃな子どもでした。
ただ、勉強に関しては、ほぼ何も言われなかったですね。
中学校や高校の時は、赤点を取ると練習をさせてもらなかったので、
テスト前だけは必至に勉強していた記憶があります。
でも、中学1年、そして高校1年の時は、テストの点が悪くて、
あまりサッカーをしていない記憶が(笑)。
中学1年の時はほぼ副審しかしていなかったですよ(笑)」


――その頃には自分の武器はこれだ!と理解していましたか? 
また、それを伸ばすためにどんな練習をしていましたか?

「中学校の頃は、グラウンドにコーンを置いて、チームの練習をする前に、
ひたすらドリブルの練習をしていました。
本当に周りはうまい選手ばかりだったので、その誰にも負けたくないという気持ちが強かったからこそ。
当時は朝5時から練習していたのですが、それぐらいやらないといけないという気持ちが強かったです」

大久保 嘉人//おおくぼ・よしと
1982年6月9日生。福岡県出身。川崎フロンターレ所属。 長崎県の国見高校では3年生の2000年度、インターハイ・国体・全国高校サッカー選手権で3冠を達成。2001年、セレッソ大阪が多くのJクラブの中から獲得し、Jリーグ第2節の浦和レッズ戦で途中出場ながらデビューを果たす。2004年7月にU-23日本代表としてアテネオリンピックに出場し2得点を記録。この活躍が認められ同年11月にはスペインのRCDマジョルカへ期限付き移籍となった。以降はセレッソ大阪、ヴィッセル神戸、VfLヴォルフスブルグ、ヴィッセル神戸へと移籍し、2010年6月にはFIFAワールドカップ南アフリカ大会に出場。2013年に川崎フロンターレへ完全移籍。
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子どもの脳

未完成なヒトの脳

ヒトが誕生して200万年も脳を使ってきたので、
私たちのあらゆる活動に、脳が深く関わっています。

脳を生きたまま調べられる方法が見つかったのはごく最近で、
その成果が次々と明らかになってきています。

子育てについても
「未成熟な状態で生まれてきた、ヒトの脳を発達させる働きかけ」
という視点に立つことができます。

近ごろ、
この観点から現代の子育てを見直す必要があるように感じています。

もし、生物が完成した状態で誕生すれば、
すぐに活動を開始できて生き残る確率は高くなります。

けれども環境がそれまでと大きく変化していると、
新しい状況に適応できずに絶滅するおそれがあります。

おそらく人類は環境への順応性を進化上最大の武器として、
未成熟な状態での誕生というリスクをとったのでしょう。

赤ちゃんは環境に働きかけて、
その結果を確かめて行動を再調整することで周囲に適応していきます。

だとすれば現代のように、
あらかじめ快適な人工的環境が用意されていて、
その中でだけ暮らしていると適応の範囲が狭まってしまうのではないでしょうか。

実際のところ現代の脳科学では、
使われない神経ネットワークは活性化されなくなることが知られています。

たとえば猫を使った視覚の研究で、
子猫の時に特定の視覚刺激のみ与えられて、
それ以外は暗闇で育てられた猫は子猫の時に与えられた視覚刺激にしか反応しないということです。

脳のネットワークをできるだけたくさん張り巡らせて有効化するためには、
多様な体験をすることが重要です。

暑さ寒さもそうですし、味覚や嗅覚もそうです。

まずは五感全てにできるだけ多くの刺激に触れることが、
感受性を豊かにするというのは、科学的にも理にかなっているわけです。
物だけでなく人に対しても同じでしょう。

できるだけたくさんの人に接すること。
それも幅広い年齢層の人と。
その後の対人関係を築く基礎となるような気がします。

子どもにとって遊びがなぜ重要なのかということも、
環境について学ぶのに必要だからと考えればすんなり納得がいきます。

大人から見ていたずらに見えることが、
子どもには学習として重要なのです。

このことは教育の専門家も言っています。

大人がつい当たり前のこと、当たり前のものとして見過ごしてしまうことが、
彼ら子どもにとっては珍しいものであり、毎日が発見の連続なのです。

だから「これは後でね」ということは、
二度とない機会を彼らから奪ってしまうことにもつながりかねません。

子どもの発達を邪魔しない大人にならなくてはいけないのです。
脳研究と子育て 脳研究の最先端でも、まだ子どもの脳については、
詳しいことは解っていません。

研究の入り口についたばかりと言っても良いでしょう。

それでも、わかってきたのは、
私たち大人が想像する以上に子どもたちは「理解している」ということです。

環境について、人について、自分からは表現できないけれども、
彼らはかなりのことを知っています。

赤ちゃんとママ

赤ちゃんの脳はめまぐるしく働いている
1〜2歳の子どもの目をじっと観察したことがありますか?

彼らの目は休むことなく動き続けています。
あたかも環境を全て理解しようとしているかのようです。

時々、その目の輝きが増して、
また一段ステップを上がったように思える瞬間があります。

大人が考える学習と幼い子どもがしている学習は、質的に違うということです。

だから大きな子どもに教えるように、幼い子どもに学ばせてはいけないのだと思います。

小さい子にはより適した学習方法があるのです。

抽象的なもの、紙の上のものよりも、実物で五感に働きかけるものが、
子どもには理解しやすいということです。

それは、彼らが脳の中の世界地図を作っている途中であることを考えれば、
納得がいくものではないでしょうか。


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posted by ひろ at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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